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- 東久留米市立西中学校 ハンドボール部
- 灘 千賀子/知名 英則先生 インタビュー<前編>
ティアンドエイチでは、新型コロナウイルス感染拡大により、様々な影響を受けている教育現場の状況を多くの方に知っていただきたいと考え、「教育現場の今」を特集するスペシャルインタビューを行なっております。特集の第6回目では、中学ハンドボール界の強豪、東久留米市立西中学校ハンドボール部監督の灘千賀子先生、知名英則先生のロングインタビューを行ないました。
前編ではお二人が指導者を志したきっかけや指導者としてのやりがい、新型コロナウイルスに対する感染対策などをお話しいただきました。
取材日2022年6月20日
- ―お二人がハンドボールの指導者になったきっかけをお聞かせ下さい。
- 灘先生(以下敬称略):私は学生時代にハンドボールをやっていたのですが、選手としてプレーを終えた後はハンドボールを普及したい、この競技に関わっていける仕事に就きたいと思っていました。また子どもに教えることが好きだったことと、色んな意味も含めてハンドボールを続けるためには教員になり、部活動でハンドボールを指導できたら良いなという気持ちがきっかけで指導者になりました。
- ―知名先生は如何ですか?
- 知名先生(以下敬称略):僕は中学2年生の時に出会った先生に憧れて教員になりたいという思いが元々ありました。それと自分が大好きなハンドボールを通して人間形成、人材育成といったことに関わっていきたいということ、灘先生と重なりますが、ハンドボールに関わる仕事をしていきたいということもあり、教員を志望しました。中学校の3年間って、色んな子どもが沢山いる中で自分の進路を決めていくわけですが、人生が80年だとしたらこの3年間ってたった3/80なんです。短く感じますが重みが全然違っていて、その期間に全力で携わらせてもらうことが凄いことだなと思いますし、憧れていた先生が生き生きと輝いていたので、僕もそうなりたいと思って中学校の教員を目指しました。
- ―どんな時に指導者としてのやりがいを感じられますか?
- 灘:手をかければかけるほど、時間を使えば使うほどそれに比例して子どもがちゃんと返してくれることでしょうか。それこそ結果というよりは心が通じ合うというか、最後に「ありがとうございました」という一言を言ってもらえた時は本当にやりがいを感じますね。それで嫌なことがあったとしても3年間の苦労が全部消えていきます(笑)部活指導に限らず、教室や日常生活でも戦うことがいっぱいあるんです。でも「おかげでこうなりました」と言ってくれた時は嬉しいですね。あとは卒業生が戻ってくる時です。私たちの職業はその場で何か結果が出ることはありません。今日教育をしたからといって明日から子どもが良い人間になるかと言ったら決してそうではないし、ハンドホールの技術も中学では良い成績を収められなかったけど、高校や大学で良い選手になる子も多くいます。そういう子どもの成長を見たり、その子たちが中学校へ帰ってきてくれて、楽しそうにハンドボールをやっている姿を見たりした時に「ああ良かった。間違ってないんだ。よし頑張ろう!」と思える。それの繰り返しですね。
- ―卒業生が帰って来てくれるのは嬉しいですね。
- 灘:何か目的があって帰ってくるわけじゃないんですよ。ただ、なんとなくハンドボールをしに来るんです。昨日もちょうど高校のインターハイ予選が終わった時期でもあったので、沢山の卒業生が遊びに来てくれました。なんとなく皆が集まってきて、ハンドボールをやっていて、それを見ていて幸せだなと昨日も思いました。
- 知名:僕は子どもの成長はもちろんですが、「過去と未来を繋げる」と言ったらいいでしょうか、その瞬間に立ち会えることが嬉しいですね。それこそ卒業生が遊びに来て、「俺らの時はこうだった」とか、僕たちが話をするよりも先輩たちが話をしたり関わってくれる教育方法って効果が高いんです。でもその繋ぐことや方法をこちらが持ってないといけませんし、その卒業した子たちも帰って来てくれるような形にならないとそういう方法はできません。東久留米西中ハンド部は2001年が創部なんですけど、実はそこからずっと繋がっていて、それが昨日も垣間見えたし、そういう瞬間に立ち会えることが自分としてのやりがいかなと思います。それこそ子どもたちは「ありがとう」「先生のおかげです」と言ってくれるんですけど、僕たちは何もしていないですし、本当に自分の好きなことをしているだけなんです。ただ成長した子どもたちって自然とそういう言葉を伝えてくれる。そんな姿を見ていると、どの組織に行っても活躍するだろうなと思いますし、そういう瞬間にやりがいを感じます。僕らの仕事って中学校3年間では終わらないなって思いますね。
- ―話は変わりますが新型コロナウイルスの感染状況が未だに読めない状況ではありますが、東久留米西中学校で取られているコロナ対策というのはどのようなものがあるかお伺いしたいです。
- 知名:一般的な手洗いうがい、食事の際は黙食をするということは継続して取り組んでいます。それと休養の部分というか、免疫力を高めるためにできることを子どもたちには話をしました。以前はそこまで言っていませんでしたけど、体を強くするためにご飯を食べなさいとか、睡眠をしっかり取りなさいとか、そういうことに関しては意識をしていますね。やはり衛生観念を上げたとしても結局ウイルスは体に入ってくるものなので、免疫力が低ければ罹患してしまいます。そこを高めるためにできることをやるのも感染症対策かなと捉えています。
- ―部活動の活動休止や大会の中止もありましたが、目標をなくしてしまった生徒たちの様子は如何でしたか?
- 知名:目標をなくしてしまったのは今の高校2年生の代ですね。本当に今でも涙が出てきそうなのですが、あの子たちは2月末に急に学校が止まってしまいました。なんとか6月に再開できましたけれど、いきなり全国大会という目標がなくなり、本当に辛かったと思います。また、日本一になるということは僕にとっても目標でしたので、大会が中止になった時は悲しかったです。ただ僕らは来年も挑戦できますが、あの子たちの中学3年生という年はもう帰ってこない。だからこそなんて言葉をかけて良いのか、本当に分かりませんでした。今でも「あのチームが戦えていたら…」と考えてしまいますし、子どもたちは誰よりもその想いを抱えていて、きっと彼らの心の中にずっと残っているんだろうなと感じます。
- ―全国大会が中止になったことは本当にやりきれない出来事でしたね…
- 知名:子どもたちは後輩に「頑張れよ」と想いを託してくれて、その後輩たちの代が日本一になれた時は嬉しかったと思います。でもやっぱり自分たちは戦えなかったという現実があって、戦って負けたのであればそれは納得できることですけれど、戦うことすらできなかったということが、やはり切ないですね。
- 灘:だからこそアベックで日本一になった子たちはそういう先輩たちを見ての1年だったので、本当に自分たちがハンドボールができて、試合ができることに喜びを感じたんじゃないかなと思います。出場できなかった先輩たちが凄く影響を与えてくれたというか、刺激を与えてくれた。常に感謝という気持ちが心の中にあったし、この代も部活ができない時期も多かったので、練習の大事さとかも以前よりかは響く部分がありました。
- 知名:そうですね。部活ができない時はZoomを使ってミーティングなどをしましたけれど、やはり取り組み方が全然違いました。個人での活動になると体力が落ちてしまいがちですが、それがほとんどなく、皆で活動できるようになった時には、「こんなこともできるようになったんだ」と驚くことの連続でした。
- 後編に続く
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