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- 富士学苑 女子バスケットボール部
- 小野 利晴監督 インタビュー
インターハイ6年連続16回、ウインターカップ13年連続20回、全国大会山梨予選6年連続無敗。全国大会ではまだ無冠ながら、山梨県内では向かうところ敵なしの富士学苑女子バスケ。女王たちを25年指揮するのは、さぞかし厳格なコーチなのか…と思いきや、小野監督は元商社マンという、ユニークで型破りな指揮官だ。
出身校も、多くのバスケ監督にありがちな体育大ではなく農工大、教師として最初に赴任した学校では幽霊部員ならぬ「幽霊顧問」。試合に早く負けることを想定して、彼女とデートの約束をしていたという不良若者顧問が、ある日を境に猛反省、超一流の指導者へと邁進していく、その転機とは―――豪快で豊かな人生ストーリーに、ついつい時間を忘れて引き込まれた。
次から次へと「名フレーズ」も作り出す知性派:小野監督の数学的戦術は、ぜひ指導DVDも合わせてチェックしていただきたい。
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取材日:2014年8月29日
- ―今年もインターハイが終了しましたね。感想、良かった点、反省点などを教えてください。
- ベスト8、ベスト4を狙おうっていう力はあったと思うが、初戦で…。今年のうちのチームは170cm以上がいない小さいチームで、リバウンドでやられた。後半のいっときは15点もリードしていたのに、リバウンドのこぼれ球を争ってなかなか取れず、相手に拾われ、得点されたのが15点くらいあった。そこを失敗してしまった。かろうじてそこをしのいでおけば…。毎年インターハイを終えた後、今度はウインターカップに向けていろんな修正をしていく。オフェンス面に関しては、やってきたことはかなり効果が出ている。
選手とも話していたのだが、今の状態で精度を上げていこうと。DVD通りの練習方法で、この冬に挑もうかなと思っている。7年ぶりに170cm以上、センターがいないチームだから、何とか結果を出したい。
「小さいチームでも出来る」というね。インターハイは、それでちょっと気負いすぎちゃった。7、8年ぶりの初戦負け。ショックを受けて帰って来ました。 - ―サイズとしては小さい今年のチームなのですね。その他の特色などは。
- やっていることは例年と同じ。DVD第3巻でも取り上げたが、うちは例年、パスしてカッティングというスタイルの中、今年の特色はパスをした人がカットするだけでなく、ボールを持ってない人が逆サイドからカットすること。それがうまく機能している。6月の関東大会などでは、2月に関東新人で優勝した金沢総合をやっつけている。かなりいい感触。
- ―先生の戦略は緻密ですし、練習メニューも本当に工夫に溢れていますよね。
- いろんな県外の方が観に来られます。面白いと言って。
全然特別なことをやってるわけじゃないんだけど。みんな最初、もっと凄い練習してると思って見に来るのだが、意外と1つ1つを見ると、どこのチームでもやっていることを組み合わせてると驚かれる。僕は、別に新しい発想はない。うちの変わったメニューとかも、まあ要は、いろんな基本プレイを組み合わせてるだけ。その代わり、知識がいっぱいないと。たくさんの知識の中で、頭の中に残った印象、思い出したものを1つ1つつなげていく。
私、化学の先生でもあるので、要は化学反応(笑)。ディフェンスの一番強くないところを狙いとして作ったオフェンスです。結構単純なのだが、意外に気が付かないことに目をつける。皆さん取り入れて帰られます。そして、各県でベスト4くらいだったチームが、今は優勝してたり、うちよりも強くなってる(笑)。もちろん、それは全然構わない。その人のオリジナリティが加わって、独自のものになるから。最初は真似でも、だんだん自分の味が出てくるから。おでんと一緒(笑)。同じレシピがあっても、人によって煮込みの時間が違うとか。量が違うとか。それによって味が変わってくる。自分のものにすればいい。 - ―先生は、常に、新しい練習方法などを考えているのでしょうね。
- あーもう、考えちゃうんですよねえ(笑)。山梨ってのはね、僕が20年前に来るまでは、全国で1回戦も勝てない県だったんです。今でこそ、富士学苑は最低でも3回戦、4、5回戦と狙えるチームになってるけど、以前は、全国に行ったら80-30で負けるっていう県だった。全国さえ行ければいいかというような。
- ―富士学苑に就任して何年なのでしょうか。
- 僕はここで25年。その前に千葉で3年、顧問でしたから、監督歴はトータルで28年かな。
- ―指導者となられたきっかけは?
- これねえ…長いんですよ(笑)。
- ―ストーリー満載!なんですね(笑)
- はい(笑)、でも、出来るだけ簡単に言うと…。体育大じゃないのにどうしてバスケ部監督になったの?って、良く聞かれるんだけど、まず、僕は最初、商社マンだったんです。教員は全然なるつもりなくてね。でも、ちょっと病気を患って、商社マンをやめることになった。で、休みの多い仕事は何だ?って考えたのが、教員だった(笑)。大好きな外国旅行もできる、なんて、安易な考えでね(笑)。
最初の赴任校でたまたま口が滑って、「昔バスケットやってました」と言ってしまって、それでバスケ部顧問になったんだけど、嫌で嫌でしょうがなかった。練習も行かなくて。いつも練習が終わった時に選手が「終わりました」と言いに来て、僕もそれで帰るというだけ。半年間、そんな感じだった。
それで、8月に「1年生大会」というのがあってね。でも、うちは1年生が5人しかいなかった。相手の学校は、松戸の聖徳というところで、顧問の先生も日女体大新卒の、バリバリの人でね。千葉の中でいい選手を15人くらい集めてて、だから、5対15で、うちはしかも素人同然の5人…。でも、試合を始めたら、ずっと接戦だったの。だけど僕はね、当初、1回戦で負けると思い込んでいたので、当時付き合っていた彼女と駅で待ち合わせをしていて(笑)、終わった後、すぐにデートっていう予定で(笑)。
ところが、試合のほうはそのうち、5人のうちの1人がファウルアウトで退場になっちゃって、、負けるっていう計算で彼女が待ってるから(笑)、5対4になって「あ、これで良かった」なんて思ったら、それでも接戦が続くんです。
そして、さらに、残り5分で、またもう1人退場。3人になって「これで本当に負ける、良かった」って思ったのに、それでも接戦。残り1分、リードしてるときに、向こうがタイムアウトを取ってね。うちの子供たちもベンチの僕のところに来て、泣いているんです。「先生、何か言ってください」と訴えながら…。そこで僕は初めて、「自分はなんてことをしてたんだろう」と。子供たちが必死になって頑張ってるのに、自分は自分の楽しみのことだけ。3人になっているのに、でも勝ちたい目をして、「先生、何か言ってくれ」と…。
そのときは、結局僕が言えたのは、「頑張れ」(笑)、それだけだったんだけど、結局その子たちはその試合に3-5で勝ってしまった。僕は猛反省しました。選手の前で謝って、「明日から日本一の指導者を目指す」と…。そこからです、休みが無くなったのは。もう、商社マン時代よりないです(笑)。 - ―感動的な話ですよね。そこで、先生の考えが変わるようになってた運命だったのかな…。
- はい、もうドラマみたいなんだけど、ほんとの話。
- ―結局そのときの彼女は怒って帰っちゃったとか?
- その3日後に別れました(笑)。「バスケットに専念する」って、僕、言ってしまったから(笑)。
子供たちが目を輝かせて、目的を持って学校へ来て、バスケット部を求めているのに対して、自分は教育者でありながら子供たちのその考えを優先させないで自分のエゴを通してた…。目が覚めて、バスケット部は自分が与えられた場だから猛勉強しようと思い、そこで最初に見に行ったのが、今のWリーグ。当時は日本リーグと言ったが、そのときの決勝戦、横浜文化体育館で、今のJXの前身、共同石油さん。中村和雄監督が、ずっとチャンピオンだったんです。ディフェンスが強いので有名な。相手はシャンソン化粧品。
どうせ見るんだったら日本一を見て指導者のスタートを切ろうと思って、ひとりで千葉から観に行った。でも、共同石油を見に行ったつもりが、いつのまにかシャンソンのほうに魅せられてしまって…。それが「パッシング」だったんです。その監督が中川文一。3年前までオリンピックの監督で、今はトヨタ紡織。「あ、俺の求めてるバスケットボールはこれなんだ」と。それで、アメリカから本を取り寄せて。今でこそ、日本語訳の本がいっぱいあるけど、当時は原本でね。最初に見たのがノースカロライナ大のディーン・スミスの本。彼がやはりパッシング・オフェンスを書いてたので、英語を訳して勉強しました。
そのような自己流で10年くらいやっていたけど、なかなか勝てない。で、10年くらい経って、静岡に練習試合に行ったとき、シャンソンの体育館をお借りしたのがきっかけで中川さんに再会した。僕にとっては神様が、声をかけてくれて。そこから、中川さんが僕に指導し始めてくれた。僕の師匠。手とり足とり、いろんな考え方、やり方を全部教えてくれたんです。それ以来、必ず僕の試合を見ててくれる。何かを必死に取り組んでいると、そういう方たちが近づいてきてくれるんですよね。 - ―なるほど…。その中川監督直伝で、小野監督の戦術は非常に論理的、数学的ですが、
監督にとってのバスケの面白さというのも、そういうロジックな部分なのでしょうか? - そうですね、自分が理数科だからかな。無駄が嫌い。
あと、のめりこんでいろんな本を読んだりする。ディフェンスなんかは、宮本武蔵の考え方を取り入れているんです。相手が打った後の先取りをするとか。相手がやろうとする前に打つ。相手がやろうともしてないのに、先にこっちで準備する。ディフェンスはまさにこの考え方。あらゆるスポーツの考え方を取り入れてます、バスケット馬鹿になりたくないから。穴倉の中で物事を考えたくないので、いろんなものを取り寄せて、組み合わせる。
バスケットボールの面白さはね、やはり知的スポーツだということ。時間のスポーツだから。バスケは縦28m、横15mの、ものすごく狭い、限られたスペースの中での、時間制スポーツ。理屈でやっていかないと時間は過ぎて行ってしまうし、オフェンスなんかは入ってきたときに、この狭いスペースに10人いる。瞬間瞬間。とにかく頭を使わないと勝てない。時間を有効に使わないといけない、スペースも有効に使わないといけない。
そしたら、言葉は悪いけど馬鹿じゃ勝てないんす。根性だけでも解決できない。良く「気持ち」だとか言うでしょ?でも、気持ちだとか体力だとかいうのは大前提。スタミナだの、心の強さなどと言うのは大前提で、普段作っておくべきこと。最後は知性。指導者と選手との共同作業で。最後は頭を使わないと勝てない。それで、だんだんハマっていってしまうんですよね(笑)。 - ―飛び抜けたスターがいなくても、5人でいかに機能的に動くかで勝っていこうとする、
非常に面白いバスケットボールですよね。 - はい。山梨では、ミニバスでも中学でも高校でも、ちょっといい選手が来ると決勝戦まで来れたりするが…ただ、勝ち続けることは無理なんですよね。うちは、全国ではまだダメだけど、山梨県内ではこの16年間で一度しか負けていない。
- ―安定していますよね。さて、女子高生といえば、多感な難しい年頃です。
そういった意味で、先生が指導上気をつけていることなどはありますか? - いっぱいありますよ(笑)。まず、女子の指導ということ…。男子はイケイケGOで、能力でやってくれる。
でも女子はもう、絶対に、ベンチが8割9割、勝敗にかかわる。女子は言われたことは絶対にやろうとするから。僕の昔は、指導者としての前半生では、これを徹底しようとしてて、選手がロボット化してしまっていた。自分で状況判断ができない。だから勝てない。
DVDのタイトル「型を作って、型にこだわらず」―――あれは自分の原点でもあるんだけど、昔は、「型を作って型通りに」やらせてた。「型を作って型にこだわって」いたんです。それで、全国でなかなか勝てなかった。今は、最低限の形を作っていて、あとは自由に、自分がオプションで選択していく、それが判断力だと言い続けてる。女の子はやはり、納得しないとできない。ほとんどは言われた通りで、考えない、だから僕は、本人が積極的にやったことは怒らないんです。「今のは何でやったの?」と聞いて、「これこれこうだから」と答えられれば、「なるほど、いいよ」って。
昔はダメだった、自分のやり方で、型通りにやらないと。だから勝てなかった。15年前、中川さんに会って自分は変わった、そのときから勝ち始めたんです。判断力って簡単に言うけど、物凄い時間がかかる。運動センスってのは先天的なものがあって、なかなか後天的には…。そこで何ができるかというと、頭を鍛えること。
うちは毎月1人1冊本を読むんです。今、中高合わせて42人いるが、全員に、月末に感想文を持ってこさせている。原稿用紙2枚用意して、1枚半書いて、その残りの半分に僕のコメントを書くんです。小説はダメ。高3くらいになると、哲学書も読む。アリストテレスとか、ソクラテスとかね。だから、僕も週に3,4冊、彼女たちが読んでそうな本を読んでます。字の添削もするし、将来大学行くときのために。最近よく、いろいろな部で交換日記をやってるとか聞くけど、僕はそんなの30年前からやっている。 - ―どこまでも「工夫の小野」ですね。
- やはり、ほんとに、原点は3-5で戦った時の、あの子たちの涙が忘れられないんですよ。
先日、地元のTVに出たんだけどね、「先生はほんとにバスケが好きなんですね」と言われ、「いや、好きじゃない」と(笑)。「そうじゃなくて、もう仕事なんだ」と。仕事ということは、失敗は許されないんです、会社と一緒でね。この子たちに何らかの形で成果を出させないといけない。「プロフェッショナルなんですよ、好きでやってるわけじゃない」って。 - ―プロ意識ですね…。先生の最終目標は何ですか?
- 実は、もう少し若いときは、大学とか実業団などからもオファーがあって…でも、全部お断りした。自分が今いるこの高校で、日本一になりたい。まだベスト4にも入っていない指導者だが…。
- ―今年実現できそうですか。
- 今年はね、桜花と昭和学院が、全国の北海道から沖縄までのスターを集めたチームで。みんな、「あんないい選手がいるから勝つんだ」などと批判するけど、僕はちょっと違う。
桜花の監督とも以前お話させていただいたが、いい選手を集めていても、ちゃんと結果を出すというのはやはり、凄い指導者なんです。人の批判をするのではなくて、今いる選手で全力を尽くす。嘆くエネルギーを使うんだったら。目の前に、僕を頼ってる選手がいるんですから。下手くそでも。それが自分のポリシー。この子たちのために全力を尽くそうと。人のチームをうらやんだりねたんだりは意味がない。2年前のウインターカップでは、実際、準優勝だった昭和学院と残り1分まで2点差で争った。もうちょっとだった。やれば出来るんだ。 - ―3-5で勝った奇跡もあるんですものね。
- その時は僕は何もしてないですけどね(笑)。…でもほんと、奇跡=ミラクルというのは、その前のプロセス=軌跡、ですよね。軌跡があるから、奇跡が起こる。
- ―またもう1つ、素晴らしいキャッチコピー!(笑)
- ははは、そうですね(笑)。
- ―全国の指導者の皆さんへは、やはり「他のチームの才能をうらやまない」とか、
そういうことがアドバイスとなりますか。 - そう。DVDの最後でも言いましたが、「環境は有限。でも発想は無限」。今いる選手、体育館が半分しか使えない、などなど…。環境は限られている。160cmの選手を180cmにすることはできない。
でも、発想、工夫は無限。ほとんどの指導者は、人のことばかり言っているの。僕が良く言うのはね、「悪口には利子がつく」。払えないのだったら、悪口言うなと。 - ―またまた、名フレーズが飛び出しました!ありがとうございます。
さて、最後に、先生のDVDのみどころを、お願いします。 - 人の移動…。パスを散らしながら、せっかくスペースがあるので、いろんな方向にボールが移動すること、そしてそれにつれて人が移動すると、ディフェンスは守りづらくなります。ボクシングのモハメド・アリ。彼以前のボクシングは、動かないで戦っていたが、彼はフットワークを使った。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」。バスケットもまったくそう。パスが蝶のように舞って、最終的にシュートで蜂のように刺す。最初からドリブルだとスペースを作れないが、人とボールが動いて行けば、ぽかっとスペースが空いてくる。そこを、ドライブとかシュートで刺していく。ただ、そのためには日々の訓練が必要。すぐにはできない、時間がかかるんです。
うちのパッシングを学びに来る指導者さんの3分の1は途中でやめちゃう、我慢できなくなって。目先の1勝ばかり考える。目先の「1勝」よりも、先の「一生」を考えろ、と言う。今だけ勝てればいいのか、この先ずっと勝ち続けたいのか。「型を作る」までにはある程度時間がかかります。ある程度ベースがないとね。みな「自由」をはき違えているんだ。「フリーダム」ではなくて「フリーランス」。「ランス」には「契約」という意味がありますからね。